from27

ゲーム、読書、映画その他。気づいたら27歳。

【映画】スカイ・クロラについて考察

ところどころ断定しているところがありますが、あくまで私の考察です。

反論は受け付けます。

 

(1)まえがき
押井守監督作「スカイ・クロラ」を、2008年の映画館に父と一緒に観に行った時、私は13歳でした。
そして押井監督は言っていました。
「若者たちへのメッセージを、この映画に込めた」と。
自分のことを「若者」だと思っていた私は、そのメッセージが全くわかりませんでした。
それでも、私は、この映画の持つ「何か」に惹かれ、人生で、ふと思い出した時に、意味がわからないなりに、DVDで繰り返し観ましたが、高校生になっても、大学に入学しても、何回観ても、自分は若者のはずなのに、そのメッセージがわかりませんでした。
しかし、大人になって、観た今、全てがわかりました。
この感動を残しておくべく、今キーボードを叩いております。
またこの映画が、難解、とか、駄作、とか、攻殻機動隊はよかったけど・・・とか、そういうことを言われているのが、非常に悔しいので、書かざるを得ないです。

押井守さんに捧げます。

(2)各年代ごとの感想
肝心の気づきに触れるまえに各年代ごとの感想を簡単に下にまとめます。
○13歳(初回)=素直
・プロペラが後ろにある飛行機がかっこいい。(今も思う)
・セリフがかっこいい。(今も思う)
・ストーリーがよくわからん。
・女性キャラがかわいくない。(今も思う。けど、今となってはこれも演出だったということがわかる)

○高校生〜大学生(2回目〜6回目くらい)=疑問
・なぜミートパイがどうのとか、そういう面白くもないシーンがやたら多いんだ?なんの意味があるんだ?
・なぜ女性キャラを可愛くしない?
・なぜセリフが棒読みなんだ?
・なぜ函南はあんなにダルそうなんだ?
・なぜ草薙はあんなに怖いの?
・三ツ矢は何をあんなに騒いでいるんだ?
・みんななぜ死にたがる?
・結局何が言いたいんだ?

○社会人4年目(7回目くらい)=解決
・疑問の全てが解決した。
・こんな映画観たことない。
・正確には、映画を観てこんな気持ちにさせられたことはない。

(3)メッセージの場所
監督のメッセージは、実はめちゃくちゃ、バカみたいにわかりやすいところに置かれていました。終盤のセリフです。
「君は生きろ、何かを変えられるまで」
これ。でも、これを理解するためには、壁があります。
映画を観ている側が、キルドレたちと同じように「日々変わらない、永遠に続くような日常を、ぼんやりと生きていて、昨日のことも去年のことも違いがわかっていない状態」であり、観ている間ずっと、キルドレに共感をし続けていなければ、全く意味がわからない、または空虚なセリフに感じてしまうのです。セリフの、言葉の意味はわかっても、その本当の「意味」はわかっていなかった。それが私のこれまでの12年間でした。
この「意味」を理解するためには、解説を読むだけではだめで、少なくとも受け手が相応の人生経験があり、かつ、心の底から、人生に倦んでいる状態である必要があると思います。そういう意味では、かなり人を選ぶ作品です。だからあんま売れなかったし、理解されなかったんじゃないかと思います。
しかし、私はそれを、あえて言葉にして明らかにするために、大学生までの自分の疑問に答えるという試みを行ってみようと思います。それによって、この作品の意味がわからなかった人も、違う視点で観ることで、わかることがあるかもしれません。あくまで私の解釈なのですが、多分合ってると思います。というか、あの演出は、正直これ以外に説明がつかないです。
キーワードは「会社員のリアルな日常」です。

(4)疑問点に答える
・なぜミートパイがどうのとか、そういう面白くもないシーンがやたら多いのか?なんの意味があるのか?
まず、戦闘機に乗ったり、仲間が死んだり、「歳を取らない子供・・・『キルドレ』(意味深)」が出てきたりで、巧妙にカモフラージュされてしまっていますが、本質的にこの映画は、最後の十分を除いて「とある会社員のリアルな日常」を隠しカメラで撮っているかのように、ただ淡々とありのまま垂れ流している映画なのです。

〜〜【会社員視点で観る「スカイ・クロラ」】〜〜
部署異動した函南優一くんが、上司(草薙)に挨拶する。上司が無愛想だけど、まあ、仕事中だしそんなもんだよね。上司が煙草仲間でラッキー。

歳の近い先輩(土岐野)が仕事終わりに飯に連れてってくれて、そのあと一緒に風俗に行く。良い先輩だね。

優一くんは、前の部署と仕事内容は同じなので、新しい部署にすぐ馴染む。下っ端なので会社見学の応対をやらされたりする。

上司がミスをした管理部門に文句を言いに行くのに付き合ったら、その過程で仲良くなる。上司も人間だね。

他の部署と統合があって、同僚が増える。

新しい同僚の女(三ツ矢)が「毎日が同じ仕事の繰り返しで成長の実感が無い」と愚痴ってくるのを聞き流す。

新しい同僚の女が上司と揉めたので取りなす
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
だいたいこんな感じです。こう見ると函南が会社員として、というか部下として理想的な動きをし過ぎていて、尊敬します。

ということで、「会社員のリアルな日常を描く」ことが目的なので、何を食べているのか、何を飲んでいるのか、っていうのは、演出上すごく大切なのです。だから「ミートパイばっかり食ってる」っていうのは「吉野家ばっかり食ってる」みたいなもので、リアル感を出すため。
「面白くないシーンばかり」っていうのは、当たり前です。
なぜなら、ご存知の通り、会社員の生活は「面白くない」からです。これはつまんない会社員生活をやったことのない人にはわからないです。つまり、大学生までの僕がこの映画の意味がわからないのは、当たり前だったんですね。

今観ると、部署統合の際のパーティの手作り感とか、パーティで上司(草薙)が他の偉い人と話している感じとか、会社のどんよりした閉塞的な空気感がめちゃくちゃリアルに表現されていると思いました。

・なぜ女性キャラを可愛くしない?
上述の通り「会社員のリアルな日常を描く」ことが目的だからです。
職場には、アスカや綾波レイミサトさんはいません。いたらリアルじゃないです。だから草薙や三ツ矢を可愛くできないんです。可愛くした瞬間に、それは私たちのリアルな生活から離れて「みんなが憧れる非日常」になってしまうから。
最初に草薙が函南の前で服を脱ぐシーンが、絶望的なまでに色気が無いのは「あえて」です。あくまで「日常の気だるさ」を維持するため、そこで日常のテンションを上げさせないためです。
逆に、非日常の象徴である、娼婦たちや、職場に遊びにきている女の子(瑞季)はわりかし美人だったり動きが可愛いです。しかしそれもやり過ぎないようにしている努力が窺えます。

・なぜセリフが棒読みなんだ?
「会社員のリアルな日常を描く」ことが目的だからです。
職場で抑揚をつけてドラマチックに喋るやつはいません。
だから長ゼリフもありません。リアルじゃないからです。
あくまで、必要な時に、必要なだけ、必要なトーンで喋るというのを、徹底しているんです。

・なぜ函南はあんなにダルそうなんだ?
単に「職場に行って、仕事をして、飯を食って、風俗に行って、寝て」という繰り返しの生活に慣れきっていて、何も新鮮なことが起きないからです。別に函南はダルいから積極的にそう振舞っているのではなくて、普通に長年同じ仕事をしてたらそうなるだけです。証拠に、周りの人は函南のテンションに何も言いません。職場であんな感じの人はざらにいます。

・なぜ草薙はあんなに怖いの?
怖いというか、無愛想なだけで、その無愛想も、仕事中だからです。ましてや草薙は上司ですし。草薙からしたら、なんで仕事中に愛想を振りまかなきゃいけないんだ、という話です。プライベートの時や、二人きりのときは、わりと態度が軟化するのは、オフだからというのもあるし、周りの目が無いため、上司としての振る舞いをしなくて良いからでしょう。

・三ツ矢は何をあんなに騒いでいるんだ?
リアルな日常をただ繰り返すだけの人生の無意味さにショックを受けているからです。「職場に行って、仕事をして、飯を食って、寝て」という繰り返しの生活をしすぎて、この生活がいつまで続くのか、この繰り返しに、人生にいったいなんの意味があるのか、ということに不安になっているのです。

ここは、戦死しないと死ねないキルドレだからこその悩み、ともとれますが、我々にも該当します。同じ職場で、新卒から定年までを同じ仕事をして過ごすことを考えると、それは若者からしたら、永遠のように感じます。
何も刺激的なことは起こらず、ただ繰り返しの毎日が、40年間続く、ということに気づいてしまった若い会社員ということです。しかし、気づいたからといって、必ずしもショックを受けっぱなしではないです。そのショックにもいずれ慣れます。土岐野は気づきながらも、それを無視して淡々とした日常を送ることにしているし、函南も同様です。ただ三ツ矢はおそらく、年次が浅いからか、そこに疑問を持ってしまったのです。
私は今25歳ですが、部署異動のあまりない仕事をしているので、このまま何もしなければ、今と同じ仕事を、50歳になってもしている様が容易に想像できます。なぜなら先輩たちがそうだから。
私は三ツ矢の気持ちが、今はわかります。ただ漠然と不安なのです。
可能性も、希望も、生きがいも、新鮮なことも、普段の生活にはなにも無いから。

函南 :繰り返しが無意味であるということでさえ、どうでもいいというか、そういうものだと受け入れている
三ツ矢:繰り返しの無意味さに耐えきれず、何かをしなければと焦っている
土岐野:繰り返しが無意味であることは受け入れつつ、できるだけ日々を楽しもうと自分で努力している

大学生までは、まだ、人生や日常に新鮮さがあふれていました。だから、三ツ矢の気持ちがわからなかったんですね。

・みんななぜ死にたがる?
この疑問を抱く場合「このまま生きていて、なんの意味があるんだろう」と思ったことがないか、「人生になんの意味があるとか、悩むの、若いね〜」と思っているのではないでしょうか。
若い時は全てが新鮮だし、可能性に満ちています。高校生は、大学生活を夢見るでしょう。大学生は、どんな仕事をしようか、と考えるでしょう。初めての受験、初めての彼女、初めての就活・・・新鮮なことばかりです。
しかし、就職して、働きはじめて、しばらく経つと、それ以降はすべてが繰り返しだということがわかります。給料で美味しいご飯屋さんに行っても、最初は新鮮だけど、そのうち慣れてしまう。ゲームをしても、映画を観ても、小説を読んでも、なんだか昔のようにワクワクできない。全てに無感動。しかし人生は続くので、各々その無意味さに折り合いをつけながら、生きていくのでしょう。
でも、折り合いをまだつけられていない場合、ショックで悩みますし、苦しいですし、精神的、物理的に人に危害を加えたり、自分を傷つけたりするでしょう。それが、草薙や三ツ矢、栗田ということです。

・結局何が言いたいんだ?
押井守さんが言いたいのは、
「君は生きろ、何かを変えられるまで」
ということなんですが、これは函南の草薙に対するセリフなので、直接的な客へのメッセージではありません。
言葉を補うなら、このような感じかと思います。
「仕事がだるいのとか、未来に可能性が感じられないのとか、これから人生が良くなると思えないのとか、何も新鮮なことが起きないのとか、楽しみが無いのとか、感動がないのとか、やりたいことがないのとか、それでも人生が続いてしまうこととか、そういう風に思ってしまうの、全部わかるよ、すごいわかるよ。でも、変わらない変わらないって、嘆くのはわかるんだけど、提案なんだけど、それでも、君だけは、何かを変えてみようと、してみないか?絶望的にまで変わらない日常を、何か変えられた、と、そう本当に思えるまで、君だけは生きてみないか?」

このメッセージを効果的に伝えるために、映画の90%を「とある会社員のリアルな日常」つまり、私たちの多くの生活そのものを表現することに費やしているんだと私は解釈しました。

(5)私の感じた感動
「君は生きろ、何かを変えられるまで」
函南のこのセリフは、何回も聞いていましたが、就職して3年が経ち、キルドレのように、終わらない、代わり映えのしない、刺激と感動の無い生活に嫌気がさしている今、聞いたとき、前述の押井さんのメッセージが頭に流れ込んできて、誇張なしに、頭からつま先まで電流が走りました。思わず「そういうことか!」と声を出して、震えました。

あたまごなしに「文句ばっか言ってないで、何か変えられると思って生きてみろよな」と言われたなら、何も響かないでしょう。うるせえ、あんたは才能があったり金があったり有名だからそう言えるんだろ、ってなるだけです。
監督が、若者の抱きうる苦しみを、芯から理解した上で、そう言ってくれているということが、演出から、セリフから、キャラの芝居から、映画の90%を通じて表現してくれていて、わかるから、最後のセリフ「君は生きろ、何かを変えられるまで」を素直に受け取れるんです。
押井監督は、すごく優しい人だと思います。監督の、若者を包み込んで、道を示す優しさを、私は感じました。
余談ですが、私は監督に一度お会いしたことがあります。監督の新書のサイン会で、握手をしました。ぐっ、と握手をしたら「力、強いね」と苦笑しながら言われていました。その目が優しくて、とても暖かい気持ちになったのを覚えています。

退屈な人生に嫌気がさしている人は、「スカイ・クロラ」をもう一度みてみてください。