【読書記録】ヴォルテール「哲学書簡」
◯概要
フランスの作家、ヴォルテールのエッセイ集。
内容は大まかには、
・クェーカー教徒に突撃取材してみた
・さまざまな偉人について
・自然科学について
・パスカル「パンセ」にツッコミを入れてみた
であるが、この中でもヴォルテール氏の熱量を感じ、面白かったのは、クェーカー教徒への取材とパンセの批判である。
◯クェーカー教徒に突撃取材してみた(「クェーカーについて」)
今風に言うなれば、新興宗教の信者に話を聞きに行ってみた、というYouTube動画か週刊誌の記事のような雰囲気を感じる章である。
私はキリスト教徒ではないので、異端とされているクェーカー教徒については何の感情も抱いていない。
なのでヴォルテール氏のいう「風変わりさ」というのがいまひとつピンと来ないのだが、クェーカーがどういう宗派なのかが分かりやすく、読みやすく書かれているので楽しく読んだ。
クェーカー教徒の特徴
・帽子を脱がない、敬語を使わない、敬称を使わない
・洗礼を受けない、割礼をしない
・聖体拝領等の儀式をしない
・遊技場、芝居小屋、賭場に近づかない
・戦争に行かない、人を殺さない
・司祭を認めない
非キリスト教徒の私からすると、儀式や洗礼については正直よくわからないが、敬語、敬称を使わないのは日本人だったらまともに生きていけないだろうなというのは、想像がつく。端的に言えば嫌われるだろう。敬うのは唯一の神だけであり、世俗の価値観には惑わされないということだろうか。慶應義塾大学では先生は福澤諭吉先生のみであり、教授であろうと「〜〜君」と呼ばれるという風習を思い出した。(実際には学生は普通に教授のことを先生と呼ぶが、掲示板等に貼り出される公式文書では「〜〜君」と表記される)
興味深かったのは、アメリカのペンシルバニア州の名前の元になった「ウィリアム・ペン」氏についての箇所である。
クェーカー教徒のウィリアム・ペンは父親の政府への貸金を返してもらう代わりに、アメリカの土地を政府からもらった。そしてなんとペン氏は、クェーカーの教義ゆえか、他のキリスト教徒が先住民を迫害しまくっていた中、先住民を殺さず、友好的な関係を築き、約束を守り、対等に扱い、慕われていたというのである。
私はキリスト教徒ではないので、キリスト教の本流を批判するつもりはないが、このエピソードだけ聞くと、なぜクェーカー教徒が異端として不遇な扱いを受けているのか、わからない。
ヴォルテールも、クェーカーを風変わりだとする姿勢は崩してはいないが、こうした良い点については認めているようである。(あるいは、ペン氏を認めているだけかもしれないが)
良心的兵役拒否について描かれた映画「ハクソー・リッジ」を思い出した。
(当該映画の主人公はクェーカーではなくセブンスデーアドベンチストであるが)
◯パスカル「パンセ」にツッコミを入れてみた(「パスカル氏の『パンセ』について」)
「パンセ」の色々な箇所を引用しながら、痛烈に批判している。パンセについてもパスカルについてもよく知らないが、その筆の勢いの良さに笑ってしまう。しかも長い。本書の30パーセントがこの章に充てられている。
内容は、ユダヤ人について、や、神について、など、正直馴染みの無いものばかりだったので、よくわからなかったが、熱意だけは伝わってきた。